あがるのはよいことだ [コミュニケーション]
寅さんファンの私は、松竹映画、「男はつらいよ」シリーズを延々観続けている。
何作目かのマドンナ役は樋口可南子。
渥美清や倍賞千恵子らのベテラン陣に混じり、撮影時には彼女は大分あがってしまったとか。
こんなときの山田洋次監督の一言がまことにニクイ。
「あがるのはよいことだ」と・・・。
この一言はストレスマネジメントの本質に迫る含蓄がある言葉だ。
昔、来日したカナダ・ストレス研究所のリチャード・アール博士は、東京の経団連会館で開いたセミナーの席上、こう口火を切った。
「いま、皆さんの前で、私はあがっています。
しかし適度にあがること、つまりストレスレベルを上げることで得られるエネルギーを使って、集中して話をすることや、さらには講演をエンジョイすることさえできるのです」
ストレス本来の定義は、何らかの刺激に対し適応しようとするからだのメカニズムだ。
この際、体内に生ずるエネルギーは強力で、一つ間違えば心臓発作や高血圧をひきおこすが、うまく使いこなせば、生産的、建設的に利用することができる。
それにはストレスレベルを一定に保つことが必要で、このレベルより高すぎても低すぎても生産性や創造性は低下してしまう。
先の山田監督の一言は、よい仕事をするためには最適のストレスレベルを維持するのがよいという、ストレスマネジメントの神髄をズバリ言い当てたもの。
「あがってはいけない」と思うことで、よけいな不安を生み出し、不必要にストレスレベルを高めてしまうことが多い。
日常生活や仕事の中であがってしまったときは、まずはあがっていることを受け入れ、ときには楽しむことをおすすめする。
アール博士のように、最初にあがっていることを認めて話のタネにしてしまうのもよし、あがったときの高揚感を味わって楽しんでしまうのもよし。
とにかく、「あがるのはよいことだ」と受け入れてしまうのが先決である。
「あがる」という話を、スポーツを例にしてもう少し続けてみよう。
私もその一人だが、高校野球ファンにとって”甲子園の夏”は楽しみだ。(今はコロナの影響で支障をきたしているが)
一方、球児たちにとっては、日頃の練習の成果を晴れの舞台でとはりきるあまり、意外にも身中の伏兵すなわち、「あがる」という”魔物”に寝首をかかれる結果になりやすい。
ピッチャーが極度の緊張のため、筋肉がこわばり、日頃のむちのようにしなるフォームはどこへやら、コントロールを乱してボールを連発しはじめる。
こんなときは脈も速くなり、これにともない全体の動作のテンポも速くなって、「間」がもてなくなる。
ムキになればなるほど、真ん中に好球を配して痛打を浴び、傷口を広げる。
一方女房役のキャッチャーは、声をかけたり歩みよって「間」をもたせたりする。
また自らの肩を上下させて、しきりに力を抜くように指示を出すが、どっこい、これがなかなかうまくいかない。
生理学的にもストレスレベルが「あがる」と、脳や心臓、あるいは筋肉への血液流入量が増える。
このような場合、米国の生理学者E・ジェイコブソンが考案した「段階的リラクゼーション」という方法が役に立つ。
緊張を逆手にとって、いったん筋肉に力を入れて緊張を強めてから、ゆっくりと力を抜いてみる。
このほうが筋肉がほぐれ、ゆるむという実感をつかみやすい。
具体的には、はじめにまず、両手でこぶしを作って力いっぱい握りしめる。
またはガッツポーズよろしく二の腕に力こぶを作る。
あるいはしかめっ面やひょっとこの顔を作ってみる。
ついで両手のこぶしや二の腕など力の入っている箇所の緊張の感覚を十分に味わってみる。
そのあと今度はゆっくりと力を抜いてみる。
こうすれば緊張とリラックスの両方の感じをつかむことができるようになる。
あなたも緊張して肩に力が入っていると気づいたら、肩から二の腕、両のこぶしにいったん力を入れた後、息を吐きながら脱力してみよう。
力が抜けたらそのまま三十秒ほど目を閉じて、ゆったりした気分を味わう。
それだけで緊張がほぐれるはずである。
何作目かのマドンナ役は樋口可南子。
渥美清や倍賞千恵子らのベテラン陣に混じり、撮影時には彼女は大分あがってしまったとか。
こんなときの山田洋次監督の一言がまことにニクイ。
「あがるのはよいことだ」と・・・。
この一言はストレスマネジメントの本質に迫る含蓄がある言葉だ。
昔、来日したカナダ・ストレス研究所のリチャード・アール博士は、東京の経団連会館で開いたセミナーの席上、こう口火を切った。
「いま、皆さんの前で、私はあがっています。
しかし適度にあがること、つまりストレスレベルを上げることで得られるエネルギーを使って、集中して話をすることや、さらには講演をエンジョイすることさえできるのです」
ストレス本来の定義は、何らかの刺激に対し適応しようとするからだのメカニズムだ。
この際、体内に生ずるエネルギーは強力で、一つ間違えば心臓発作や高血圧をひきおこすが、うまく使いこなせば、生産的、建設的に利用することができる。
それにはストレスレベルを一定に保つことが必要で、このレベルより高すぎても低すぎても生産性や創造性は低下してしまう。
先の山田監督の一言は、よい仕事をするためには最適のストレスレベルを維持するのがよいという、ストレスマネジメントの神髄をズバリ言い当てたもの。
「あがってはいけない」と思うことで、よけいな不安を生み出し、不必要にストレスレベルを高めてしまうことが多い。
日常生活や仕事の中であがってしまったときは、まずはあがっていることを受け入れ、ときには楽しむことをおすすめする。
アール博士のように、最初にあがっていることを認めて話のタネにしてしまうのもよし、あがったときの高揚感を味わって楽しんでしまうのもよし。
とにかく、「あがるのはよいことだ」と受け入れてしまうのが先決である。
「あがる」という話を、スポーツを例にしてもう少し続けてみよう。
私もその一人だが、高校野球ファンにとって”甲子園の夏”は楽しみだ。(今はコロナの影響で支障をきたしているが)
一方、球児たちにとっては、日頃の練習の成果を晴れの舞台でとはりきるあまり、意外にも身中の伏兵すなわち、「あがる」という”魔物”に寝首をかかれる結果になりやすい。
ピッチャーが極度の緊張のため、筋肉がこわばり、日頃のむちのようにしなるフォームはどこへやら、コントロールを乱してボールを連発しはじめる。
こんなときは脈も速くなり、これにともない全体の動作のテンポも速くなって、「間」がもてなくなる。
ムキになればなるほど、真ん中に好球を配して痛打を浴び、傷口を広げる。
一方女房役のキャッチャーは、声をかけたり歩みよって「間」をもたせたりする。
また自らの肩を上下させて、しきりに力を抜くように指示を出すが、どっこい、これがなかなかうまくいかない。
生理学的にもストレスレベルが「あがる」と、脳や心臓、あるいは筋肉への血液流入量が増える。
このような場合、米国の生理学者E・ジェイコブソンが考案した「段階的リラクゼーション」という方法が役に立つ。
緊張を逆手にとって、いったん筋肉に力を入れて緊張を強めてから、ゆっくりと力を抜いてみる。
このほうが筋肉がほぐれ、ゆるむという実感をつかみやすい。
具体的には、はじめにまず、両手でこぶしを作って力いっぱい握りしめる。
またはガッツポーズよろしく二の腕に力こぶを作る。
あるいはしかめっ面やひょっとこの顔を作ってみる。
ついで両手のこぶしや二の腕など力の入っている箇所の緊張の感覚を十分に味わってみる。
そのあと今度はゆっくりと力を抜いてみる。
こうすれば緊張とリラックスの両方の感じをつかむことができるようになる。
あなたも緊張して肩に力が入っていると気づいたら、肩から二の腕、両のこぶしにいったん力を入れた後、息を吐きながら脱力してみよう。
力が抜けたらそのまま三十秒ほど目を閉じて、ゆったりした気分を味わう。
それだけで緊張がほぐれるはずである。
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