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人付き合いを身につけようとするが怖い少年 [人付き合い]

人付き合いを身につけようとするが怖い少年リッキーは、じっとしていた。
彼はじっとセラピストを見つめている。
ほんのわずかだが、涙が浮かんだようだ。

彼を助けるためには、これくらいのトリックにひっかかってはいけない。

おだやかに、しかしはっきりとセラピストは言って聞かせた。
「僕には、それは効かないよ、リッキー。大人をそうやって見つめると、キミの言いなりになると思ってるみたいだけど、それはよくないね。
それに、僕にはダメだ。
キミをこのまま帰してあげるつもりはない。
キミには僕の助けが必要だ。
他のやり方を考えなくては」

リッキーが、面子まるつぶれになるのは嫌だろうと思って、ここは深追いしないことにした。
「いま、水を持ってくるから、それからゆっくり話そうね」

すぐに部屋にもどると、彼は椅子に腰かけてうなだれていた。
もう一度、セラピストは彼に立ち向かうことにしたが、ちょっと方向を変えた。

今度は、セラピストはニッコリ笑いかけ、はずむように、「いやー、キミ、ほんとうに上手、感心しちゃうよ。
ダン先生も、すんでのところでひっかかるところだったよ。
あの調子で、ママをやっつけちゃうんだろ?」
床をじっと見つめたまま、彼は頭を縦に振った。
「おもしろいだろ?キミときたら、大人をおかしくなる寸前まで追い詰めちゃうんだもの」―彼の秘密を言わせようと、かまをかけてみた。

ふたたび、彼はセラピストを、相手の心を動かそうとする例のまなざしで、じっと見つめた。
セラピストは熱心につづけて、「ね、そうなんだろ?」彼は溜息をついて、「僕が何だって?」と言う。

「そうやって、見つめてパパやママをおかしくしちゃうんだろ?」
「おかしいって何のこと?」
「もう、いい加減にして。僕が何を言いたいかわかっているくせに。イタズラを見つかった後、パパやママが叱ろうとすると、その悪魔のまなざしでじっと見つめるんだ。
すると、どうしたことか、パパやママは何も言うことができなくなってしまう!だから、パパやママはおかしくなりそうになるんだよ。そうだろ?」

リッキーはあきらかに、私を持て余し気味だった。
いつもの調子では、なぜか、この私には効き目がない。
そこで、待ち伏せを失敗した男の子がみんなやるように、もうひとつ、絶対確実というやり方で攻めてきた。
それは、本当のことを言ってしまうことだ。

「まったくその通りだよ」
「それがキミの自慢なんだろ?」
「うん、まあね」
「でも、いつもいい気持ちではないだろ?」「それ、どういうこと?」
「いつまでも、そんなバカなことばかりやっている自分が怖くない?」「うん」
「時には、両親に償いをしたいと思わない?」「うん」
「でも、そうは言えないのだろ?」

そこで、人付き合いの怖い彼は急に元気を取り戻した。
「それ、ちがうよ」

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そうやってしばらく、前向きに話をした後で、「じゃ、誰がそれをしなくてはいけないと思うの?」と聞いてみた。

二人は、お互いの顔を見た。
セラピストは、残念そうな表情で、「先生がやらなくてはいけないみたいだね」と言った。
彼はすぐに諦めなかった。
「わざわざしてくれなくたって」
「キミがもっと責任の取れる大人になるのを助けようと思うから、先生はそうするんだ」

彼に悪魔がもどってきたらしく、ずっと落着きを取り戻した。
そこで、あの小悪魔の表情に返って、「好きにならなくても、やりさえすればいいんだね」と、たたみかけてきた。

リッキーに責任感を持たせようというのは、とても無理のようだ。
あとで、両親と話しながら、遅かれ早かれ、リッキーも、「あのダン先生、殺されないのが不思議だよ」という、フラストレーションでいっぱいになったほかの問題児たちの発言に、「大賛成!」と叫ぶだろうな、と考えた。
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ピーターパン人間判定 [人付き合い]

1.失敗をすると、大袈裟に自分が悪かったと誤るか、どんな非難にもしきりに言い訳を並べ立てるかのどちらか。

2.記念日とか誕生日といった大事な日を忘れる。

3.パーティなどでは、あなたを無視し、他人、それも女性の関心を惹こうと懸命に自分を売り込む。

4.ごめん、悪かったの一言が、どうしても言えない。

5.自分がその気分の時には、相手の女性もセックス気分だと信じて疑わない。女性に前戯が必要だなんて考えてみたこともない。

6.自分の友達のためなら、面倒なことでも喜んでするのに、あなたからの頼みは、ほとんど無視。

7.「無関心すぎる」と、あなたが文句を言わないかぎり、あなたの話も、悩みも、聞こうとはしない。

8.自分が出かけたいとき以外は、外出しようと言わないし、何かしようと自分から提案することもない。

9.自分の感情を表現することに、ものすごいむずかしさを感じているようだ。

10.父親とべったりでいたいのだが、いざ実際に父親といると、(今も昔も)儀礼的で深みのない会話しかできない。

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11.自分と違う意見には耳を貸そうとしない。

12.怒りだしたら手がつけられなくなる。

13.母親の依頼には何も言えないでおとなしく従うので、あなたは母親が出しゃばりすぎると腹を立てる。

14.自分の能力を認めてもらえない、適正な職場でないと言うが、文句を言っているだけで、何もしようとしない。

15.人との付き合いに誠実さや温かみが感じられない。子どもがいる場合、長男に対して、その傾向がとくに著しい。

16.アルコールが入ると、人が変わったようになる。大風呂敷をひろげたり、カラ元気ではしゃいだかと思うと、急にわけもなく怒り出す。

17.流行や仲間の男性たちに取り残されまいと、実に涙ぐましい努力をする。

18.男尊女卑的な発言をする。「家の中をきれいにしておくなら、女房が働きに出ても文句はない」などと言う。

19.よくわけのわからない不安に怯えていたり、自信がなくなったりする。しかし、そうした話題について触れたがらない。

20.自分のことを棚上げにして、あなたを感情的だと非難する。逆にあなたが腹を立てると、彼は石のように黙り込む。


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人付き合いが怖い人は石の上にも三年 [人付き合い]

続けることが大切

「百日参り」で願いが叶えば、それでおしまいというわけではありません。
じつは、ここからがはじまりです。
リズム運動による効果を実感できるようになるのに、約100日を必要とする話しをしました。
次は、それを三年間継続すれば、どうなるかということです。
三年間の総決算といっても、毎日の積み重ねですから、当然、各個人ごとに到達点は違うはずです。
リズム運動の質や時間も個人ごとに違うでしょうし、やり方の善し悪しもあるでしょう。

三年はあくまでも一つの区切りです。
「石の上にも3年」という言葉がありますが、これは三年間もじっと座っていれば、石も温まるという、継続効果を表現しています。
石の温まる温度には、個人ごとに差があって当然です。
しかし、それぞれ違いはあっても、それなり温かくなります。
坐禅やリズム運動を毎日継続して実践していれば、程度の差こそあれ、セロトニン神経が恒常的に高い活動レベルにシフトすると考えられます。

銀の柱がズンと立つ

それでは、坐禅を三年継続すると、どのような変化が期待されるのでしょうか。
中西政次という方の体験記録です。
この方は、学校の校長を辞められてから、坐禅をはじめ、弓を引く毎日を送るようになりました。

弓道と坐禅を長年続けるなかで、弓道の上達と坐禅による内面の変化を同時に見つめ、記録に残してくれています。

最初の段階として、七か月目ともなれば、弓を持って的に向かうと、”凛”とした一筋の気が体の中心を縦に通り、身体の各部が統一された感じになると表現しています。

次の段階では丹田(下腹部)が小波も経たぬ湖面のように静まり、体が無理なく安定し、雑念が薄らいで心が統一され、頭のてっぺんから脚の先まで「銀の柱が垂直にズンと立つ」ように感じられる、と記載されてあります。 これがちょうど、三年目の状況に相当します。

ちなみに、最後の段階では、意識が透明になり、心身のどこにも凝固するものがない感じになり、”無”を自覚できるようになる、とあります。
もちろん、この間、弓と禅を日課とする日々を送っているわけです。

この第二段階に注目してみましょう。
まず、身体の方から見てみますと、体が無理なく安定し・・・、頭のてっぺんから脚の先まで「銀の柱が垂直にズンと立つ」とあります。
これこそ、セロトニン神経の活性化です。
セロトニン神経は体幹部や脚の抗重力筋を刺激する効果があります。
セロトニン神経が弱っていると、背骨が曲がり、力がなく、すぐにしゃがみこんでしまいます。人付き合いが怖い気持ちになります。
逆に、セロトニン神経がきたえられると、背筋がしゃんと伸びて、姿勢がよくなります。
この状態が極まると、銀の柱がズンと立つというところまで感じられるようになると想像されます。

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三年経てば、身体だけではなく心の変化もしっかりと自覚されるようになってきます。
雑念が薄らいで心が統一される感じ、と表現されています。
やっていることは、坐禅という腹筋のリズム運動です。
このリズム運動が心に確実な変化をもたらすわけです。
心の状態が身体に及ぼす影響は、比較的分かり易いものと思われます。
一方、ここでは逆に、身体が心に及ぼす影響が実感されるわけです。

この間をつなぐのは、セロトニン神経以外には考えられません。
なぜなら、坐禅あるいはリズム運動によって活性化されるのは、セロトニン神経しかなく、心や抗重力筋の両面に影響を与えられるのもセロトニン神経しか考えられないからです。

坐禅は科学的に、脳の前頭前野の一部を分厚くする作用を持っており、それは人付き合いの怖いという気持ちをフラットに持っていきます。

三年間、リズム運動を一所懸命続けていると、中西氏のように、銀の柱がズンと立ち、雑念や人が怖い気持ちが薄らいでくることが実感できるものと、期待されます。

これが、医師のところに相談にやって来られた人々への回答です。
うつ病やパニック障害、対人恐怖症を克服するため、薬の服用に頼り過ぎることなく、各種リズム運動をはじめた人たちへのメッセージとなります。
三年目には程度の差こそあれ、確実に心身に影響が現れてくる。
しかも、それは100日目の感覚をさらに超えたものとなるでしょう。
三年は長いと思われるかもしれません。
しかし、一日わずか30分のリズム運動ですむのです。
ぜひ継続してもらいたいと思います。
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怖いという気持ちのセロトニン神経は電灯の光では効果なし [人付き合い]

光によるセロトニン神経の活性化について。
電灯の光も、太陽光と同じに、光であることに変わりありません。
しかし、普通の電灯光はセロトニン神経に対し、太陽光のような効果を発揮しません。
そもそも、電灯は太陽の沈んだ夜でも、物が見えるように開発されたものです。
物を見るという視覚機能においては、太陽光も電灯光もそれほど違いがありませんが、セロトニン神経にとっては、太陽光と電灯光では大きな違いがあるのです。

違いの主な要因は、光の強度、すなわち、照度にあります。
電灯光の強さは100~250ルクス程度です。
太陽光の強さはその10倍から100倍あります。
これまでの研究では、2500ルクス以上の照度があれば、人付き合いが怖いという感情や不安をコントロールするセロトニン神経を十分に活性化できるとされています。

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ですから、電灯光の場合でも、2500ルクス以上であれば、太陽光と同じにセロトニン神経を活性化できることになります。
ただし、このような高照度の電灯光のもとで、長時間生活することは、かなり苦痛を伴います。
うつ病治療のために高照度の人工光が使われることがありますが、せいぜい20~30分間浴びる程度です。
ちなみに、時差ボケを解消するためにも、高照度光療法が使われますが、その場合は約2500~10000ルクスの電灯光を短時間浴びます。
治療では、高照度の光を、短時間照射するというのが効果的なようです。
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人付き合いでひきこもりやキレやすい子どもたち [人付き合い]

セロトニン神経がきたえられた状態は、人付き合いでお坊さんをイメージしてもらうと分かり易いと思います。
外見は背筋がピンと伸び、顔に締まりがある。
痛みに対する反応も無理なく抑えられる。
心の面では、爽快ですっきりした感覚が出てくる。
いずれも、リラックスというよりは、クールな覚醒状態と言えるでしょう。
朝の寝起きもよく、交感神経に適度の緊張があり、人付き合いにも積極的になり、やる気が湧いている状態をセロトニン神経は演出します。

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さて、逆に、セロトニン神経が弱ってしまうとどうなるでしょう。
当然のことながら、まったく反対の症状が出てきます。
うつ病の人をイメージしてください。
外見は、背筋に芯が入っていない感じで、姿勢が悪く、弱々しい。
人付き合いも怖いと感じる。
ちょっとした苦痛にも耐えられず、大騒ぎをしてしまう。
憂うつで、いつも何か心に引っかかるものがあって、すっきりしない。
朝の寝起きが悪く、いつまでも調子が出ない。
これらの症状は、うつ病あるいはうつ状態の典型です。
子どもの場合ですと、ひきこもりの子どもやキレやすい子どもによく見られる状態です。


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増加するうつ病 [人付き合い]

うつ病者の内訳をみると、中高年のパーセンテージが高く、その原因の多くは不況によるリストラなど、時代が色濃く投影されています。
厳しい職場環境や困難な経営からうつ病となる。
医療現場でも、中高年のうつ病が最近増加していることが実感されます。

一昔前にはうつ病は精神疾患の一つとして、暗いイメージをたたえていました。
しかし、最近では、うつ病は心の風邪といわれるくらいにまで、気楽にとりあげられるようにもなりつつあります。
その理由は、SSRIをはじめとするかなり有効な薬が世に出て、治るというか、コントロールして社会生活が続けられるという状況に至ったことが、大きいと考えられます。

うつ病の治療薬としては、プロザック(SSRIの一つ)が1986年にアメリカで発売され、いまや世界中約100カ国以上で4000万人以上が服用していると言われます。
この数字からも、いかに多くの人が症状の軽減を切望しているかがお分かりいただけるでしょう。
とくに、アメリカでは、プロザック服用者の生活を描いた小説『私は「うつ依存症」の女』(原題は”Prozac Nation")がベストセラーになるほど、社会全体が、明るく、ポジティブな性格を重視する傾向が強く、ちょっと落ち込んだり、気分が重いという程度の理由で、SSRIに手を出す弊害も生まれているのです。

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うつ病がセロトニン神経の機能障害で起こることは間違いありません。
それは、脳内セロトニン濃度を増やす働きをするSSRIが使われることからも明白です。
それでは、代替医療あるいは民間療法として使われる呼吸法やエクササイズ・ウォーキングがセロトニン神経に本当に効くのかどうか、この点にいろいろな人々が関心を寄せてきています。
うつ病と闘いながら、仕事を続けている人からの関心、さらに、呼吸法を指導している人が、セロトニン神経についてもっと知りたいという関心など様々です。
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嫌いな上司も実験動物と思えばかわいいもの [人付き合い]

長いビジネスマン生活をしていると、嫌いな上司、虫の好かない上司、どうしても好きになれない上司とめぐりあわせることがある。

官庁に勤めている青年は、「私は、いまの上司をどうしても好きになれない。はっきりした理由はない。ウマが合わないとでもいうのか、理屈ではない。こういう上司のもとで働くことは憂鬱で、むしろ苦痛になってくる」といっている。

人間の感情ほどままにならないものはなく、嫌いな上司は、どんなに好きになろうとしても、なかなか好きになれないものである。

しかし、職場では、上司を選択する自由はなく、嫌いな上司のもとでも働かなければならない。

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嫌いな上司のもとで働くときの心得は、「これも人生修業の一つだ。この機会に人間研究をしよう」と思い返し、なぜこの上司が嫌いなのか、上司の行動と自分の態度をつぶさに観察して、将来の参考にすればよい。
無理にその上司を好きになろうと努めることはない。
実験動物のつもりで観察していれば興味もわいてくる。

もちろん、このことは、口でいうようにたやすいことではないが、ビジネスマンを辞めない限り、そうした問題は必ずつきまとうものである。
ほかに方法がないとすれば、その環境の中で考え方を切り換え、環境に順応するほうが賢明である。

また、嫌いな上司には、とかく遠ざかろうとしがちであるが、自分の感情を抑え、積極的に接近していくことも必要である。
接近すれば、自然と親しみもわき、ずっと嫌いだった上司が好きになるということもある。
意外についきあってみると気が合ったという、食わず嫌いのケースも多いのである。
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敵もつくれない人に仕事はできない [人付き合い]

また、職場というところは矛盾の多いところで、働かなくては嫌われ、働きすぎても嫌われることがある。

Cという青年が訪ねてきて、「私は入社して二年になりますが、近頃は仕事がおもしろく、働くのがとても楽しいのです。
ところが最近、上司のご機嫌をとるために働きすぎるという陰口をいう同僚が現れ、親しい同僚からも、仕事をするのもほどほどにしたほうがよいのではないか、あまり成績を上げると、ほかの人からねたみを買うことになる―と注意されました。
職場は働くところなので、働きすぎるということはないはずです。
それなのに、働くと嫌われるということでは納得できません。
このような職場では、どうすればよいでしょうか」と話していた。

職場というところは、考え方や性格のちがう人々の集まりであるところから、人を見る目もそれぞれちがっているので、よくいう人も、悪くいう人もあり、誰からもよく思われるということは難しい。
だから、一部の人から嫌われたからといって気にかけることはない。

ただ問題は、その嫌われ方にある。
単に、ねたみから嫌われているものとすれば、そんなことにこだわらずに働いていれば、非難する者もなくなってくる。

しかし、自分の成績をハナにかけ同僚を見下すような態度があるならば、嫌われるのは当然であって、非難する者と不当呼ばわりすることはできない。

働くと嫌われるという場合には、そのいずれかを反省してみなければならない。

嫌われる原因に心当たりがなければ、上司か先輩から、それとなく、非難する人達にたずねてもらえればはっきりする。

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ある職場の例であるが、AとBという優秀な二人の若者がいた。
ところが、この二人とも同僚からよくいわれない。
そこで上司は、よくいわない同僚に、「君たちはAをよくいわないが、なぜか」とたずねてみた。

すると、「Aは、自分の成績を上げることだけを考え、協調しない」ということであった。
そこで、「ではBは?」とたずねると「Bはそんなことはありません」とのことなので、「では、Bを悪くいうのはなぜか」とたたかみかけたところ、Bの欠点をあげる者は、一人もいなかった。

このことは、Aには嫌われる原因があり、Bの場合は、単なるやっかみにすぎないことを示している。

嫉妬ややっかみは、どこにもあることなので、職場では協調を忘れずに、ときには、同僚を立てるなどして協力に心がけていれば、働きすぎるという非難や陰口など意に介することはない

敵千人あれば味方も千人あると思い、大いに働き、大いに成績を上げていけばよい。
やり手であれば必ず敵がある。
敵をつくることを恐れていたのでは、ろくな仕事はできない。

しかし、人をはじめから敵とみてはいけない。
善意をもって相手をみることも必要である。
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「こうしてほしい」と素直に言うだけで愛し方、愛され方が全然違ってくる [人付き合い]

「雨降って地固まる」という格言がある。
よく人はけんかしながら親しくなっていくということが言われる。
人は対立をとおしてお互いを理解する。
ただ、それが可能なのは両方ともが心を開いているときである。

アンジェリスの言うように、男と女が「真実の瞬間」を持てば、どうしても対立することはある。

しかし、世の中には対立できないカップルがいる。
お互いに言いたいことを言えないで我慢する。
喧嘩恐怖症カップルとでもいうカップルがいる。
そうしたカップルは、喧嘩はしないが親しいとは言えない。
喧嘩恐怖症カップルの問題は、そのうちお互いの心が通じ合わなくなることである。

晴れの日が続いていると何かすばらしいようだけれども、実は地面がひび割れを起こしているかもしれない。

「いいこと」が必ずしもいいことにつながるわけではないし、「悪いこと」が必ずしも悪いことを生み出すわけではない。
本当のことを言えば対立してしまうことがある。

そんなときに人は、ついそれを言いそびれる。
そういうときこそ、天候は晴れのようだが、事態は悪い方向に向かっているのだ。

ある本に出ていた新婚早々の夫の話である。

彼はコーン・フレークが嫌いであった。
しかし、結婚してはじめての朝、奥さんがそれを買ってきてしまっていた。
テーブルの上には大きなコーン・フレークの箱がある。
奥さんを傷つきたくない彼は、どうしても「それは嫌いだ」と言えない。
そして食べる決心をする。

その最初の箱がなくなるときに、彼は奥さんに、もう買わないように頼もうとした。
しかし、”献身的な”彼女は、最初の箱がなくなる寸前に次のコーン・フレークを買ってきてしまった。
つまり、最初の箱でおしまいだと思っていたのに、新しいものを買ってこられたのである。

月日は流れて十六年後、彼は自分がコーン・フレークを嫌いだということを、もう穏やかに説明できなくなったときの奥さんの反応は想像できるだろうと、この物語を終わらせている。

もう穏やかには説明できないのだから、彼はヒステリックになったのだろう。
十六年間のつもりつもった感情の爆発である。
「こんなもの食えるか!」といったたぐいの凄まじい台詞と態度が想像できる。

そして奥さんは十六年間、それを切らさずに毎朝そろえていたのだから並み大抵の努力ではない。
こちらも当然「私がこんなに尽くしてきたのに!」とヒステリックになっただろう。

この夫婦には信頼関係がない。
だからこそ「コーン・フレークは嫌いだ」と夫は言えなかった。

このように、打ちとけて自分自身を説明できないということは、その関係に無理があるということである。
お互いの信頼関係がない人たちはいさかいを恐れて、自分が折れることで問題を解決しようとする。

しかし、折れても問題の本質的な解決にはならない。
折れたことの感情は心の底に残ってしまう。
そうして最後には爆発し、最悪の結果をもたらすのだ。

逆に、お互いの心にふれ合っている人は言いづらいことが少ない。
何かを断わるときに神経をすり減らすような遠慮がない。
「コーン・フレークを嫌いだ」と言える。
相手も「嫌いだ」と言われても傷つかない。
喧嘩をしても別れの不安がない。
相手に無理をして合わせる必要がない。

このような関係がふれ合いの関係である。
兄弟げんかをしていた子どもが大人になってから仲良く協力して生きているなどということも多い。

アメリカの『親しい敵』という本に「どんな犠牲を払っても平和を」という”鳩型カップル”が出てくる。
彼らは最後には息が詰まる。
良い子が最後に問題を起こすのと同じである。

デンバー大学の心理学教授で結婚家族研究センターの所長であったマークマン博士も「建設的議論」という名称を使いつつ同じことを主張している。
それこそが、結婚生活成功の最大にして唯一の予言者であるとも言っている。
「建設的議論」とは、私に言わせれば、自分の意図を理解してもらおうと相手の懐に飛び込んでいく討論なのである。

「関係が深くなればなるほど、真実を突きつけられ、ますます不愉快になる」という言葉がある。

この言葉を使った人は不愉快という表現を使っているが、喧嘩は相手を知るための機会でもある。

何でも言えることが最高の人間関係である。
うまくいっているカップルは問題のないカップルではなく、問題を解決する能力のあるカップルである。

この世の中に問題のないカップルなどいない。

「トラブルは良いこと」と、言われる。
このことをわかってもらわなければならないのは、アメリカの女性よりも日本の女性なのである。

アメリカの女性はよく男性と喧嘩をする。
日本の女性にくらべれば、はるかに自分を主張して男性と対立する。

『親しい敵』という本のなかに「一日一回夫婦喧嘩で医者知らず」という格言が載っている。

人はストレスから病気になるが、自分の言いたいことをいうことでストレスが解消され健康でいられる、という意味である。

それほどまでに、自分の言いたいことを言うことは大切である。
そして言いたいことを言えば、まず喧嘩になる。

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ある本にワーレンという男性が出てくる。
ワーレンは妻とのセックスに自信がない。
そこでその性的劣等感から自分を守るために、テレビのスポーツ番組を見続ける。
しかし自分を守れはしたが、そうすることで妻とは親しくなれない。

親しくなれる人は「自分は性的に不能なんだ」と素直に女性に言える男性である。
性的不能を隠す男性は女性と親しくはなれない。

同じ本に出てくるマークも同じように、酒を飲むことでごまかしている。
真実は必ずしも輝かしいことばかりではない。

しかし、その真実を共有するところに男と女の本当の親しさがある。
「セックスは肉体的なことではなく心だ」と言うのは、このことなのだ。

この劣等感は、性的なことばかりとは限らない。
劣等感を持った人はこうしてひとりで自分から人と親しくなる能力を破壊していく。

「神経症気味の人は概して結婚という暗礁と性という浅瀬で彼の人生を破滅にみちびく」

セックスでその人の心理的成長がわかる。
性という浅瀬で自分の人生を破滅させる人は心理的成長に失敗している人である。

「真実の瞬間」を避けていると、性的に不能になることが多いにちがいない。

頭が悪いなら悪いとして親しまれ、尊敬される。
それが親しい関係である。
駆け足が遅いということに劣等感を持ったら、それは失敗した関係である。

親しいとは「ふり」をしなくてもいいということである。
立派な人を演じなくてもいいということである。
自分が頭がいい「ふり」をしなくてもいいということである。
そのままの自分が、相手に高く評価されているということである。
そのままの自分が相手に意味がある。
そこが親しさである。

コミュニケーションの能力は素直さである。
「できないんだ」と言えるか言えないかが、親しいか親しくないかの分かれ目である。
人は格好をつけることでコミュニケーションができなくなる。

では、どうして親しくなるか。
それは何度も言うように自己開示である。
親しいとは自分の弱さを、その人には出せることである。
しかし、それは無責任になれと言っているのでもない。

あるアメリカの本によると、女性は男性の二倍の親しい友人を持っている。
女性は男性にくらべてずっと弱みを友人に出してしまうからである。
25%の女性は弱みだけを出すという。
25%の男性は強さだけを出すという。

ところで喧嘩が大切だということは、充実した恋愛関係を維持するために大切だということだけではない。
一刻も早く別れたほうがいい人たちを早く別れさせるということでもある。

「雨降って地固まる」という格言があるが、「雨降って土砂崩れ」ということもある。
岩盤が弱いと土砂崩れする。
つまり、信頼関係がないと、喧嘩は土砂崩れを起こす。
どちらかが耐えているときは土砂崩れを起こす。

でも、これで「別れ」ができればまだよい。
最悪のそのまた最悪は、双方が最後まで折れて、憎しみを持ちながらも関係が終わらず、うつ病にでもなるケースである。
喧嘩恐怖症型夫婦は家庭内離婚になる。
家庭内離婚は実際の離婚よりもさらに悲惨であろう。
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世代間ギャップがある人 [人付き合い]

世代間ギャップは年の離れた人同士で起こりやすい現象ですが、世代による感覚の違いがコミュニケーションを難しくします。

お互いが自分本位で考えるので、話がかみ合わない、何を考えているかわからないという状況をつくりやすくします。

これは職場に限ったことではなく、家族や親子間でも起こりやすい現象です。

では、そのような世代間ギャップがあるときには、どう対処したらいいでしょうか。

世代間ギャップはいつの時代にもあります。
そこで、大事になるのが自分の価値観やものさしだけで、相手を判断しないことです。

世代が違う人が大切にしているものや考え方が、自分たちの世代が重要視しているものと違っていたとしても、相手の考えを尊重する気持ちや、相手を理解しようという気持ちが持てるかどうかで、相手との関係は変わってきます。

一番良くないのは、相手に対して、「どうせ言ってもわかってもらえない」と決めつけて、コミュニケーションを取ることをはじめから放棄してしまうことです。

そこでネガティブな感情が生まれれば、自己肯定感は下がってしまいます。

年の差が開いているほど、世代間のギャップは当然あるものだと理解した上で、はじめから相手と理解し合えなくても、相手の考えに興味を持ち、相手の話を聞こうとする姿勢が、相手との心の距離を縮めていきます。

あなたの考えは、これまで生きてきた経験の中で培われたもので、それを正しいと思っています。

それは、相手も同じです。

あなたの考えも、相手の考えも、どちらが正しくて、どちらが間違っているということではなく、どちらも正解なのです。

人は年齢に関係なく、自分の考えがベースとなる「正解」を持っています。

お互いが自分の正しさを主張して、相手を否定し、相手が正しくない理由を述べていては、歩み寄ることはもちろん、分かり合うことは到底できなくなります。

ここで大事になるのが、「I'm OK. YOU're OK」という多様性を認め合う考え方です。

相手が大事にしているものが何かわかったときは、自分はそう思えなくても、それは相手が大事にしているものなのだと、相手の考えを尊重できると、相手は自分を尊重されたと感じます。

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誰もが自分は尊重されていると感じられると、相手を理解しようという気持ちになるのです。

これでお互いの自己肯定感は高まります。

両者で妥協点を見つけなければならないとき、自分が絶対に譲れないこと以外は相手の考えを受け入れていきましょう。

譲る、譲らないが、自己価値を脅かすと考えてしまうと、絶対に譲れなくなります。

しかし、相手に考えを譲っても、あなたの価値は影響を受けません。

それなら気持ち良く、自分が譲れるところは譲れると、あなたの自己肯定感を下げずに、相手のことも尊重できます。

そのあとの関係性はぐっと良くなることでしょう。
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