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人付き合いを身につけようとするが怖い少年 [人付き合い]

人付き合いを身につけようとするが怖い少年リッキーは、じっとしていた。
彼はじっとセラピストを見つめている。
ほんのわずかだが、涙が浮かんだようだ。

彼を助けるためには、これくらいのトリックにひっかかってはいけない。

おだやかに、しかしはっきりとセラピストは言って聞かせた。
「僕には、それは効かないよ、リッキー。大人をそうやって見つめると、キミの言いなりになると思ってるみたいだけど、それはよくないね。
それに、僕にはダメだ。
キミをこのまま帰してあげるつもりはない。
キミには僕の助けが必要だ。
他のやり方を考えなくては」

リッキーが、面子まるつぶれになるのは嫌だろうと思って、ここは深追いしないことにした。
「いま、水を持ってくるから、それからゆっくり話そうね」

すぐに部屋にもどると、彼は椅子に腰かけてうなだれていた。
もう一度、セラピストは彼に立ち向かうことにしたが、ちょっと方向を変えた。

今度は、セラピストはニッコリ笑いかけ、はずむように、「いやー、キミ、ほんとうに上手、感心しちゃうよ。
ダン先生も、すんでのところでひっかかるところだったよ。
あの調子で、ママをやっつけちゃうんだろ?」
床をじっと見つめたまま、彼は頭を縦に振った。
「おもしろいだろ?キミときたら、大人をおかしくなる寸前まで追い詰めちゃうんだもの」―彼の秘密を言わせようと、かまをかけてみた。

ふたたび、彼はセラピストを、相手の心を動かそうとする例のまなざしで、じっと見つめた。
セラピストは熱心につづけて、「ね、そうなんだろ?」彼は溜息をついて、「僕が何だって?」と言う。

「そうやって、見つめてパパやママをおかしくしちゃうんだろ?」
「おかしいって何のこと?」
「もう、いい加減にして。僕が何を言いたいかわかっているくせに。イタズラを見つかった後、パパやママが叱ろうとすると、その悪魔のまなざしでじっと見つめるんだ。
すると、どうしたことか、パパやママは何も言うことができなくなってしまう!だから、パパやママはおかしくなりそうになるんだよ。そうだろ?」

リッキーはあきらかに、私を持て余し気味だった。
いつもの調子では、なぜか、この私には効き目がない。
そこで、待ち伏せを失敗した男の子がみんなやるように、もうひとつ、絶対確実というやり方で攻めてきた。
それは、本当のことを言ってしまうことだ。

「まったくその通りだよ」
「それがキミの自慢なんだろ?」
「うん、まあね」
「でも、いつもいい気持ちではないだろ?」「それ、どういうこと?」
「いつまでも、そんなバカなことばかりやっている自分が怖くない?」「うん」
「時には、両親に償いをしたいと思わない?」「うん」
「でも、そうは言えないのだろ?」

そこで、人付き合いの怖い彼は急に元気を取り戻した。
「それ、ちがうよ」

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そうやってしばらく、前向きに話をした後で、「じゃ、誰がそれをしなくてはいけないと思うの?」と聞いてみた。

二人は、お互いの顔を見た。
セラピストは、残念そうな表情で、「先生がやらなくてはいけないみたいだね」と言った。
彼はすぐに諦めなかった。
「わざわざしてくれなくたって」
「キミがもっと責任の取れる大人になるのを助けようと思うから、先生はそうするんだ」

彼に悪魔がもどってきたらしく、ずっと落着きを取り戻した。
そこで、あの小悪魔の表情に返って、「好きにならなくても、やりさえすればいいんだね」と、たたみかけてきた。

リッキーに責任感を持たせようというのは、とても無理のようだ。
あとで、両親と話しながら、遅かれ早かれ、リッキーも、「あのダン先生、殺されないのが不思議だよ」という、フラストレーションでいっぱいになったほかの問題児たちの発言に、「大賛成!」と叫ぶだろうな、と考えた。
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ピーターパン人間判定 [人付き合い]

1.失敗をすると、大袈裟に自分が悪かったと誤るか、どんな非難にもしきりに言い訳を並べ立てるかのどちらか。

2.記念日とか誕生日といった大事な日を忘れる。

3.パーティなどでは、あなたを無視し、他人、それも女性の関心を惹こうと懸命に自分を売り込む。

4.ごめん、悪かったの一言が、どうしても言えない。

5.自分がその気分の時には、相手の女性もセックス気分だと信じて疑わない。女性に前戯が必要だなんて考えてみたこともない。

6.自分の友達のためなら、面倒なことでも喜んでするのに、あなたからの頼みは、ほとんど無視。

7.「無関心すぎる」と、あなたが文句を言わないかぎり、あなたの話も、悩みも、聞こうとはしない。

8.自分が出かけたいとき以外は、外出しようと言わないし、何かしようと自分から提案することもない。

9.自分の感情を表現することに、ものすごいむずかしさを感じているようだ。

10.父親とべったりでいたいのだが、いざ実際に父親といると、(今も昔も)儀礼的で深みのない会話しかできない。

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11.自分と違う意見には耳を貸そうとしない。

12.怒りだしたら手がつけられなくなる。

13.母親の依頼には何も言えないでおとなしく従うので、あなたは母親が出しゃばりすぎると腹を立てる。

14.自分の能力を認めてもらえない、適正な職場でないと言うが、文句を言っているだけで、何もしようとしない。

15.人との付き合いに誠実さや温かみが感じられない。子どもがいる場合、長男に対して、その傾向がとくに著しい。

16.アルコールが入ると、人が変わったようになる。大風呂敷をひろげたり、カラ元気ではしゃいだかと思うと、急にわけもなく怒り出す。

17.流行や仲間の男性たちに取り残されまいと、実に涙ぐましい努力をする。

18.男尊女卑的な発言をする。「家の中をきれいにしておくなら、女房が働きに出ても文句はない」などと言う。

19.よくわけのわからない不安に怯えていたり、自信がなくなったりする。しかし、そうした話題について触れたがらない。

20.自分のことを棚上げにして、あなたを感情的だと非難する。逆にあなたが腹を立てると、彼は石のように黙り込む。


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人付き合いが怖い人は石の上にも三年 [人付き合い]

続けることが大切

「百日参り」で願いが叶えば、それでおしまいというわけではありません。
じつは、ここからがはじまりです。
リズム運動による効果を実感できるようになるのに、約100日を必要とする話しをしました。
次は、それを三年間継続すれば、どうなるかということです。
三年間の総決算といっても、毎日の積み重ねですから、当然、各個人ごとに到達点は違うはずです。
リズム運動の質や時間も個人ごとに違うでしょうし、やり方の善し悪しもあるでしょう。

三年はあくまでも一つの区切りです。
「石の上にも3年」という言葉がありますが、これは三年間もじっと座っていれば、石も温まるという、継続効果を表現しています。
石の温まる温度には、個人ごとに差があって当然です。
しかし、それぞれ違いはあっても、それなり温かくなります。
坐禅やリズム運動を毎日継続して実践していれば、程度の差こそあれ、セロトニン神経が恒常的に高い活動レベルにシフトすると考えられます。

銀の柱がズンと立つ

それでは、坐禅を三年継続すると、どのような変化が期待されるのでしょうか。
中西政次という方の体験記録です。
この方は、学校の校長を辞められてから、坐禅をはじめ、弓を引く毎日を送るようになりました。

弓道と坐禅を長年続けるなかで、弓道の上達と坐禅による内面の変化を同時に見つめ、記録に残してくれています。

最初の段階として、七か月目ともなれば、弓を持って的に向かうと、”凛”とした一筋の気が体の中心を縦に通り、身体の各部が統一された感じになると表現しています。

次の段階では丹田(下腹部)が小波も経たぬ湖面のように静まり、体が無理なく安定し、雑念が薄らいで心が統一され、頭のてっぺんから脚の先まで「銀の柱が垂直にズンと立つ」ように感じられる、と記載されてあります。 これがちょうど、三年目の状況に相当します。

ちなみに、最後の段階では、意識が透明になり、心身のどこにも凝固するものがない感じになり、”無”を自覚できるようになる、とあります。
もちろん、この間、弓と禅を日課とする日々を送っているわけです。

この第二段階に注目してみましょう。
まず、身体の方から見てみますと、体が無理なく安定し・・・、頭のてっぺんから脚の先まで「銀の柱が垂直にズンと立つ」とあります。
これこそ、セロトニン神経の活性化です。
セロトニン神経は体幹部や脚の抗重力筋を刺激する効果があります。
セロトニン神経が弱っていると、背骨が曲がり、力がなく、すぐにしゃがみこんでしまいます。人付き合いが怖い気持ちになります。
逆に、セロトニン神経がきたえられると、背筋がしゃんと伸びて、姿勢がよくなります。
この状態が極まると、銀の柱がズンと立つというところまで感じられるようになると想像されます。

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三年経てば、身体だけではなく心の変化もしっかりと自覚されるようになってきます。
雑念が薄らいで心が統一される感じ、と表現されています。
やっていることは、坐禅という腹筋のリズム運動です。
このリズム運動が心に確実な変化をもたらすわけです。
心の状態が身体に及ぼす影響は、比較的分かり易いものと思われます。
一方、ここでは逆に、身体が心に及ぼす影響が実感されるわけです。

この間をつなぐのは、セロトニン神経以外には考えられません。
なぜなら、坐禅あるいはリズム運動によって活性化されるのは、セロトニン神経しかなく、心や抗重力筋の両面に影響を与えられるのもセロトニン神経しか考えられないからです。

坐禅は科学的に、脳の前頭前野の一部を分厚くする作用を持っており、それは人付き合いの怖いという気持ちをフラットに持っていきます。

三年間、リズム運動を一所懸命続けていると、中西氏のように、銀の柱がズンと立ち、雑念や人が怖い気持ちが薄らいでくることが実感できるものと、期待されます。

これが、医師のところに相談にやって来られた人々への回答です。
うつ病やパニック障害、対人恐怖症を克服するため、薬の服用に頼り過ぎることなく、各種リズム運動をはじめた人たちへのメッセージとなります。
三年目には程度の差こそあれ、確実に心身に影響が現れてくる。
しかも、それは100日目の感覚をさらに超えたものとなるでしょう。
三年は長いと思われるかもしれません。
しかし、一日わずか30分のリズム運動ですむのです。
ぜひ継続してもらいたいと思います。
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怖いという気持ちのセロトニン神経は電灯の光では効果なし [人付き合い]

光によるセロトニン神経の活性化について。
電灯の光も、太陽光と同じに、光であることに変わりありません。
しかし、普通の電灯光はセロトニン神経に対し、太陽光のような効果を発揮しません。
そもそも、電灯は太陽の沈んだ夜でも、物が見えるように開発されたものです。
物を見るという視覚機能においては、太陽光も電灯光もそれほど違いがありませんが、セロトニン神経にとっては、太陽光と電灯光では大きな違いがあるのです。

違いの主な要因は、光の強度、すなわち、照度にあります。
電灯光の強さは100~250ルクス程度です。
太陽光の強さはその10倍から100倍あります。
これまでの研究では、2500ルクス以上の照度があれば、人付き合いが怖いという感情や不安をコントロールするセロトニン神経を十分に活性化できるとされています。

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ですから、電灯光の場合でも、2500ルクス以上であれば、太陽光と同じにセロトニン神経を活性化できることになります。
ただし、このような高照度の電灯光のもとで、長時間生活することは、かなり苦痛を伴います。
うつ病治療のために高照度の人工光が使われることがありますが、せいぜい20~30分間浴びる程度です。
ちなみに、時差ボケを解消するためにも、高照度光療法が使われますが、その場合は約2500~10000ルクスの電灯光を短時間浴びます。
治療では、高照度の光を、短時間照射するというのが効果的なようです。
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人付き合いでひきこもりやキレやすい子どもたち [人付き合い]

セロトニン神経がきたえられた状態は、人付き合いでお坊さんをイメージしてもらうと分かり易いと思います。
外見は背筋がピンと伸び、顔に締まりがある。
痛みに対する反応も無理なく抑えられる。
心の面では、爽快ですっきりした感覚が出てくる。
いずれも、リラックスというよりは、クールな覚醒状態と言えるでしょう。
朝の寝起きもよく、交感神経に適度の緊張があり、人付き合いにも積極的になり、やる気が湧いている状態をセロトニン神経は演出します。

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さて、逆に、セロトニン神経が弱ってしまうとどうなるでしょう。
当然のことながら、まったく反対の症状が出てきます。
うつ病の人をイメージしてください。
外見は、背筋に芯が入っていない感じで、姿勢が悪く、弱々しい。
人付き合いも怖いと感じる。
ちょっとした苦痛にも耐えられず、大騒ぎをしてしまう。
憂うつで、いつも何か心に引っかかるものがあって、すっきりしない。
朝の寝起きが悪く、いつまでも調子が出ない。
これらの症状は、うつ病あるいはうつ状態の典型です。
子どもの場合ですと、ひきこもりの子どもやキレやすい子どもによく見られる状態です。


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お腹を動かす呼吸には二種類ある [コミュニケーション]

坐禅の呼吸法のことを、「腹式呼吸法」とよく表現します。
これがじつは混乱と誤解の原因です。

腹式呼吸というのは、胸式呼吸と対をなす概念で、お腹を大きく動かす呼吸と一般に考えられます。
ところが、お腹を動かす呼吸には、二種類あります。
横隔膜呼吸と腹筋呼吸ですが、両者はまったく反対の動きをします。
そのことを丁寧に説明します。

坐禅の呼吸法と睡眠時の呼吸の比較
坐禅の呼吸法は腹筋を使った呼吸で、呼気からはじまる。 吐いて、吐いて、吐き切ると、フイゴが膨らむように呼気が起こる。 睡眠時の呼吸は横隔膜を使い、吸気からはじまる。 呼気は横隔膜の収縮が止むと自然に起こり、腹筋の収縮を伴わない。

大切なポイントは、横隔膜も腹筋も収縮していない状態をまず理解することです。
このとき、肺には約2400mlの呼吸ガスがたまっています。
これを機能的残気量(FRC)レベルと呼びますが、名前の意味は忘れてください。
このFRCレベルは呼吸をしていない時点と理解してください。
ここから吸気あるいは呼気がはじまります。

もし、横隔膜が収縮すると、内臓が圧迫されてお腹が膨らみ、肺に空気が入ります。 これが呼気です。

横隔膜は内臓と肺とのあいだにドーム状に張っている薄い筋肉です。
横隔膜の収縮が止むと、とくに腹筋を収縮させないでも、自然にもとのFRCレベルに戻ります。
これが自然な呼気です。
腹筋を使わない呼気というのは、バネが引き伸ばされて、もとの位置に戻る原理で発生します。
以上が、横隔膜呼吸です。

逆に、FRCレベルから腹筋を「意識的に」収縮させますと、今度は、お腹が締まり、内臓が圧迫されます。
すると、横隔膜ドームが上げられて、肺を圧縮し、肺から空気を押し出します。
これが「意識的な」呼気です。

自然な呼気と「意識的な」呼気では、バネを引っ張るのではなく、圧縮する方向に動かすことになります。
腹筋の収縮を止める(バネの圧縮を止める)と、自然に、フイゴが膨らむように、肺に空気入ります。
お腹ももとの位置に自然に膨らみます。
これは吐き切った後の呼気ということになります。
この場合、横隔膜の収縮は必ずしも必要ないのですが、一生涯働き続ける筋肉のことですから、フイゴが膨らむときでも、ある程度収縮します。
横隔膜ほど律義者の筋はありません。

以上が、腹筋呼吸です。
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増加するうつ病 [人付き合い]

うつ病者の内訳をみると、中高年のパーセンテージが高く、その原因の多くは不況によるリストラなど、時代が色濃く投影されています。
厳しい職場環境や困難な経営からうつ病となる。
医療現場でも、中高年のうつ病が最近増加していることが実感されます。

一昔前にはうつ病は精神疾患の一つとして、暗いイメージをたたえていました。
しかし、最近では、うつ病は心の風邪といわれるくらいにまで、気楽にとりあげられるようにもなりつつあります。
その理由は、SSRIをはじめとするかなり有効な薬が世に出て、治るというか、コントロールして社会生活が続けられるという状況に至ったことが、大きいと考えられます。

うつ病の治療薬としては、プロザック(SSRIの一つ)が1986年にアメリカで発売され、いまや世界中約100カ国以上で4000万人以上が服用していると言われます。
この数字からも、いかに多くの人が症状の軽減を切望しているかがお分かりいただけるでしょう。
とくに、アメリカでは、プロザック服用者の生活を描いた小説『私は「うつ依存症」の女』(原題は”Prozac Nation")がベストセラーになるほど、社会全体が、明るく、ポジティブな性格を重視する傾向が強く、ちょっと落ち込んだり、気分が重いという程度の理由で、SSRIに手を出す弊害も生まれているのです。

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うつ病がセロトニン神経の機能障害で起こることは間違いありません。
それは、脳内セロトニン濃度を増やす働きをするSSRIが使われることからも明白です。
それでは、代替医療あるいは民間療法として使われる呼吸法やエクササイズ・ウォーキングがセロトニン神経に本当に効くのかどうか、この点にいろいろな人々が関心を寄せてきています。
うつ病と闘いながら、仕事を続けている人からの関心、さらに、呼吸法を指導している人が、セロトニン神経についてもっと知りたいという関心など様々です。
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なぜ相手が大きくみえてしまうのか? [人間関係]

私の後輩がきて、「私は、就職の面接試験であがってしまい、しどろもどろの返答をしたので落ちてしまった。あがらない方法はないものだろうか」といっていた。

最近の若い人たちは、臆することがなくなり、あがるということもないように見受けられるが、いざとなればやはりあがるらしい。

ある化学会社に勤めているUという青年が、「私は、人前に出るとあがる癖があって、そのために損をしている」といっていた。

あがるということは、多かれ少なかれ誰にでもあることで、これを癖といえるかどうかは疑問である。
あがる癖があるという人は、<自分には、あがる癖がある>という自己暗示にかかっているからではないだろうか。

どんな場合に人前に出るとあがるかといえば、第一に、社長とか重役とか偉い上司の前に出たときであるが、からだがこわばってしまい、思うように言葉が出なくなる。
人によっては手や唇が震えてしまい、質問に対しても、しどろもどろの返事をするということになる。

第二に、会議や大勢の人前で話すときである。
ぼうっとしてしまい、いま自分で話そうとしていることまでわからなくなり、突拍子もないことをいってしまったりする。

いずれにしても、人前に出るとあがるということは、相手が自分より偉いとか優れているのだという暗示にかかり、不安や恐怖心から冷静さを欠き、判断力をマヒさせてしまうからである。

しかし、あがる癖は、直そうと思えば直るものである。

あがるというのは、経験不足からくることが多いので、慣れてくれば、次第にあがらなくなってくるものである。
だから、できるだけ多くの経験を積み、慣れることである。
社長の前にでも、会議にでも、尻込みせず出るようにすれば、あがらなくなってくる。
社内ばかりでなく、社外でも、数多くの場を踏めば、世慣れてきてあがらなくなってくる。
あがるからといって人前に出るのを避けていたのでは、いつまでたってもあがる癖は直らない。

つぎは、自分で工夫を凝らすことである。

まず、相手の暗示にかからない工夫をすることである。
偉い人の前に出るときは、<彼だってただの人間ではないか、負けてなるものか、仕事のことなら、自分のほうがはるかに詳しいのだ>と口の中で何度も繰り返してから前に出ればよい。

私も若い頃、社長に、捺印をもらいに行かされることがしばしばあったが、あがってしまい、質問に答えられなかったり、わけのわからない説明をしてしまうことがあった。
そこで、<社長だって同じ人間ではないか、偉そうに構えているが、自分と同じように晩飯も食べればトイレにも行く>と考え、社長がトイレで構えている姿を想像し、<アガラナイ、アガラナイ>と数度唱えてから前に出ることにした。
すると、このまじないが効を奏し、あがらなくなってしまった。

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会議の席上などでも、あがらないためには十分な準備をし、メモを用意して、何度も発言の練習をしていくことも必要ではあるが、他人の発言や会議の流れによって、自分の考えを訂正しなければならないことも起こってくるので、<ここに出席している連中だって、みなドングリの背比べではないか、ただ、もっともらしく発言しているにすぎないのだ。
自分より優れているとは思えない>と思い返してみることである。
このように思い返せば、落ち着いてきて、冷静に発言できるようになる。

あがるということは、意志が弱いために、相手の暗示にかかるからなので、強い意志力を養い、自分には、相手に負けない力があるのだという自己暗示をもって、自信をつけることが必要である。

「私は、議論になると、すぐあがってしまい、相手に言い負かされてしまうのです。
私にも、正しいと思う理屈はあるのですが、それが、咄嗟の場合忘れてしまい、出て来ないのです」といっているビジネスマンがいた。

こういうことは、よくある。
あとになってから、「ああいえばよかった」「こういって反論すればよかった」と悔むが、それに気がついたときは、あとの祭りである。
じだんだ踏んで悔しがっても、議論に負けてしまってからでは、どうしようもない。

こういうことになるというのは、これも相手の暗示にかかっているか、あるいは、瞬間的なことのため、意識が働く余裕がなかった場合である。

このような状態から抜け出すためには、まず、相手の暗示にかからない抵抗力を養う訓練をしなければならない。
それには、

1.強い意志力を養うこと
2.相手のいうことを疑ってみること
3.即時反応を避け、相手に圧倒されそうになったなら、廊下に出て深呼吸をするとか、トイレに立つとかして、気分転換をはかり、気持ちを新たにして、相手に向かうことなどを心がければよい
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嫌いな上司も実験動物と思えばかわいいもの [人付き合い]

長いビジネスマン生活をしていると、嫌いな上司、虫の好かない上司、どうしても好きになれない上司とめぐりあわせることがある。

官庁に勤めている青年は、「私は、いまの上司をどうしても好きになれない。はっきりした理由はない。ウマが合わないとでもいうのか、理屈ではない。こういう上司のもとで働くことは憂鬱で、むしろ苦痛になってくる」といっている。

人間の感情ほどままにならないものはなく、嫌いな上司は、どんなに好きになろうとしても、なかなか好きになれないものである。

しかし、職場では、上司を選択する自由はなく、嫌いな上司のもとでも働かなければならない。

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嫌いな上司のもとで働くときの心得は、「これも人生修業の一つだ。この機会に人間研究をしよう」と思い返し、なぜこの上司が嫌いなのか、上司の行動と自分の態度をつぶさに観察して、将来の参考にすればよい。
無理にその上司を好きになろうと努めることはない。
実験動物のつもりで観察していれば興味もわいてくる。

もちろん、このことは、口でいうようにたやすいことではないが、ビジネスマンを辞めない限り、そうした問題は必ずつきまとうものである。
ほかに方法がないとすれば、その環境の中で考え方を切り換え、環境に順応するほうが賢明である。

また、嫌いな上司には、とかく遠ざかろうとしがちであるが、自分の感情を抑え、積極的に接近していくことも必要である。
接近すれば、自然と親しみもわき、ずっと嫌いだった上司が好きになるということもある。
意外についきあってみると気が合ったという、食わず嫌いのケースも多いのである。
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敵もつくれない人に仕事はできない [人付き合い]

また、職場というところは矛盾の多いところで、働かなくては嫌われ、働きすぎても嫌われることがある。

Cという青年が訪ねてきて、「私は入社して二年になりますが、近頃は仕事がおもしろく、働くのがとても楽しいのです。
ところが最近、上司のご機嫌をとるために働きすぎるという陰口をいう同僚が現れ、親しい同僚からも、仕事をするのもほどほどにしたほうがよいのではないか、あまり成績を上げると、ほかの人からねたみを買うことになる―と注意されました。
職場は働くところなので、働きすぎるということはないはずです。
それなのに、働くと嫌われるということでは納得できません。
このような職場では、どうすればよいでしょうか」と話していた。

職場というところは、考え方や性格のちがう人々の集まりであるところから、人を見る目もそれぞれちがっているので、よくいう人も、悪くいう人もあり、誰からもよく思われるということは難しい。
だから、一部の人から嫌われたからといって気にかけることはない。

ただ問題は、その嫌われ方にある。
単に、ねたみから嫌われているものとすれば、そんなことにこだわらずに働いていれば、非難する者もなくなってくる。

しかし、自分の成績をハナにかけ同僚を見下すような態度があるならば、嫌われるのは当然であって、非難する者と不当呼ばわりすることはできない。

働くと嫌われるという場合には、そのいずれかを反省してみなければならない。

嫌われる原因に心当たりがなければ、上司か先輩から、それとなく、非難する人達にたずねてもらえればはっきりする。

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ある職場の例であるが、AとBという優秀な二人の若者がいた。
ところが、この二人とも同僚からよくいわれない。
そこで上司は、よくいわない同僚に、「君たちはAをよくいわないが、なぜか」とたずねてみた。

すると、「Aは、自分の成績を上げることだけを考え、協調しない」ということであった。
そこで、「ではBは?」とたずねると「Bはそんなことはありません」とのことなので、「では、Bを悪くいうのはなぜか」とたたかみかけたところ、Bの欠点をあげる者は、一人もいなかった。

このことは、Aには嫌われる原因があり、Bの場合は、単なるやっかみにすぎないことを示している。

嫉妬ややっかみは、どこにもあることなので、職場では協調を忘れずに、ときには、同僚を立てるなどして協力に心がけていれば、働きすぎるという非難や陰口など意に介することはない

敵千人あれば味方も千人あると思い、大いに働き、大いに成績を上げていけばよい。
やり手であれば必ず敵がある。
敵をつくることを恐れていたのでは、ろくな仕事はできない。

しかし、人をはじめから敵とみてはいけない。
善意をもって相手をみることも必要である。
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