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ビリーフが悩みの源泉 [コミュニケーション]

感情は思考の産物である。

思考とは心の中の文章記述である。

ゆえに悩みがあるときは、悩みを生み出しているビリーフ(受け取り方)を発見することである。

思考タイプの人、感情タイプの人ということばがあるので、いかにも思考と感情は相互に独立した別物のように思いがちである。

しかし、そうではない。

悲しい、不快、腹立たしい、イライラ、絶望感、憂鬱といった感情は、当人が何らかの文章記述をはっきりと意識してはいないが心の中で唱えているから生じているのである。

たとえば数年前私はいやな感じを久しぶりに味わった。

それは私の専攻分野に関するある会議に声をかけられなかったからである。

お呼びでない、というあの体験である。

すでにおわかりのように私の心の中には「私に声をかけるべきである」「私を無視すべきではない」「その問題について私は専門家である」といった文章記述があったからである。

こういう文章記述がなければ多分さほどいやな感じはしなかったと思う。

しかし、考えているうちに私は文章記述が変わってきた。

「もし私が会議に出て意見を言ったばかりに、じゃあお前がやれと指名される公算は大である。

すると私は仕事と責任がふえて閉口したにちがいない」と。

そしてこうも考えた。

「アメリカの病院長は医者ではなく、文系のアドミニストレーション専攻の人がなることがある。
同じように私と専攻のちがう人が会議に呼ばれることもありうつことである」と。

ところでこうした文章記述というのは意識のすぐ下にひそんでいるから、じっと考えているうちに浮かび上がってくる。

精神分析を受けないと発見できないしろものではない。

いわゆる潜在意識(あるいは前意識)に潜んでいるものである。

したがって精神分析のように無意識界を夢分析などで探索するほど大袈裟なものではない。

先日も路上で出会った学生が「ぼくデートのあとすごく疲れるんですが」という。

君、心の中でどんな文章を唱えているの?

と問うた。

ちょっと考えてから彼は答えた。

「私は彼女に好かれねばならない」と。

「うん、そうだ。ところで君、どうしたら彼女に好かれると思うの?」

「彼女に話を合わせれば彼女は私を好いてくれるはずだ」というのが彼の文章記述であった。

「そうかなあ。ぼくはちがう考えだ。君ねえ、女性というものは自分の意見を持っている男性を頼もしく思うことの方が多いよ。

自分に合わしてくれる男でないといやだという女性がいたら、相当支配的な人だよ。

君は終生、その女性のしもべになる覚悟はできているのかなあ」といった調子で私は駅まで彼と付き合った。

こんな具合に潜在意識にある文章記述は比較的思い出しやすいものである。

ただし、感情が生じるたびにいちいち文章記述を思い出す必要は全くない。

いい音楽だなあと感動しているときに、さて文章記述はと考える必要はない。

幸福なときは幸福にひたればよい。

幸福を味わうとよい。

自分を不幸にする感情におそわれたときにだけ、どういう文章記述に支配されているかを発見するわけである。

自分を不幸にする感情のもとになっている文章記述を発見したならば、その文章記述のどこがおかしいかを吟味し修正する作業に入る。
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