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夫(妻)は父(母)ではない [人間関係]

家庭が憩いの港でないという根拠は妻や夫は母親でもないし、父親でもないということである。

ところが概して男性というものは自分の妻に母親を期待し、女性は自分の夫に父親を期待する傾向がある。

精神分析でいう「感情転移」のことである。

まず男性の考えちがいから説明したい。

やさしい母親に育てられた男性は、世の中の女性はだいたい母親のようにやさしいものだと思うようになる。

少しくらいのわがままを許してくれるものだ、自分を犠牲にしても喜んで付き合ってくれるものだと思い込んでいる。

しかし、これは腹を痛めた母親だからである。

もともとは縁もゆかりもなかった人間が、同じ屋根の下に住むようになったら急に母親のようにやさしくなる、寛大になる、奉仕的になるというのはあまり期待しない方がよい。

それを期待するからがっくりくるのである。

始めから自分の家庭は自分の実家ではない、というビリーフを持っている方が落胆は少ない。

すべての母親がやさしいわけではない。

きびしい母親に育てられた男性は、自分の妻も母親と同じできびしいであろうという思いがあるから、気兼ねする傾向がある。

わがままになれないという意味で、家庭が憩いの港とは言い切れない。

つまり、やさしい母に育てられようと、きびしい母に育てられようと、男性にとっては自分の家庭で百パーセント羽を伸ばせるということはありえないといえる。

同じ原理が女性にも適用できる。

やさしい父親に育てられた女性は、自分の配偶者も父親と同じように思いやりのある寛大な人物のはずであると思い込む。

それゆえ父親の百分の一くらいの思いやりしか持たない亭主であることに気付いたときは、世も末だと思う。

われ過てりと叫びたくなる。

決して家庭は憩いの港にならない。

不快の場である。

もし父親が支配的で口うるさい場合、娘は世の中の男性は夫も含めて支配的で口うるさいものだと思い込む傾向がある。

それゆえ家庭を持ったその日から亭主の言動にびくびくするようになる。

それゆえ、家庭が憩いの港にはならない。

したがって、やさしい父に育てられようときびしい父に育てられようと結果は大同小異ということになる。

そこで対策はこうなる。

朝昼晩、一日に三回心の中で「夫(妻)は夫(妻)であって父(母)ではない!」と宣言することである。

これを唱えているうちに、気持ち(感情)もそれに引きずられて変わってくる。
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