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「こうしてほしい」と素直に言うだけで愛し方、愛され方が全然違ってくる [人付き合い]

「雨降って地固まる」という格言がある。
よく人はけんかしながら親しくなっていくということが言われる。
人は対立をとおしてお互いを理解する。
ただ、それが可能なのは両方ともが心を開いているときである。

アンジェリスの言うように、男と女が「真実の瞬間」を持てば、どうしても対立することはある。

しかし、世の中には対立できないカップルがいる。
お互いに言いたいことを言えないで我慢する。
喧嘩恐怖症カップルとでもいうカップルがいる。
そうしたカップルは、喧嘩はしないが親しいとは言えない。
喧嘩恐怖症カップルの問題は、そのうちお互いの心が通じ合わなくなることである。

晴れの日が続いていると何かすばらしいようだけれども、実は地面がひび割れを起こしているかもしれない。

「いいこと」が必ずしもいいことにつながるわけではないし、「悪いこと」が必ずしも悪いことを生み出すわけではない。
本当のことを言えば対立してしまうことがある。

そんなときに人は、ついそれを言いそびれる。
そういうときこそ、天候は晴れのようだが、事態は悪い方向に向かっているのだ。

ある本に出ていた新婚早々の夫の話である。

彼はコーン・フレークが嫌いであった。
しかし、結婚してはじめての朝、奥さんがそれを買ってきてしまっていた。
テーブルの上には大きなコーン・フレークの箱がある。
奥さんを傷つきたくない彼は、どうしても「それは嫌いだ」と言えない。
そして食べる決心をする。

その最初の箱がなくなるときに、彼は奥さんに、もう買わないように頼もうとした。
しかし、”献身的な”彼女は、最初の箱がなくなる寸前に次のコーン・フレークを買ってきてしまった。
つまり、最初の箱でおしまいだと思っていたのに、新しいものを買ってこられたのである。

月日は流れて十六年後、彼は自分がコーン・フレークを嫌いだということを、もう穏やかに説明できなくなったときの奥さんの反応は想像できるだろうと、この物語を終わらせている。

もう穏やかには説明できないのだから、彼はヒステリックになったのだろう。
十六年間のつもりつもった感情の爆発である。
「こんなもの食えるか!」といったたぐいの凄まじい台詞と態度が想像できる。

そして奥さんは十六年間、それを切らさずに毎朝そろえていたのだから並み大抵の努力ではない。
こちらも当然「私がこんなに尽くしてきたのに!」とヒステリックになっただろう。

この夫婦には信頼関係がない。
だからこそ「コーン・フレークは嫌いだ」と夫は言えなかった。

このように、打ちとけて自分自身を説明できないということは、その関係に無理があるということである。
お互いの信頼関係がない人たちはいさかいを恐れて、自分が折れることで問題を解決しようとする。

しかし、折れても問題の本質的な解決にはならない。
折れたことの感情は心の底に残ってしまう。
そうして最後には爆発し、最悪の結果をもたらすのだ。

逆に、お互いの心にふれ合っている人は言いづらいことが少ない。
何かを断わるときに神経をすり減らすような遠慮がない。
「コーン・フレークを嫌いだ」と言える。
相手も「嫌いだ」と言われても傷つかない。
喧嘩をしても別れの不安がない。
相手に無理をして合わせる必要がない。

このような関係がふれ合いの関係である。
兄弟げんかをしていた子どもが大人になってから仲良く協力して生きているなどということも多い。

アメリカの『親しい敵』という本に「どんな犠牲を払っても平和を」という”鳩型カップル”が出てくる。
彼らは最後には息が詰まる。
良い子が最後に問題を起こすのと同じである。

デンバー大学の心理学教授で結婚家族研究センターの所長であったマークマン博士も「建設的議論」という名称を使いつつ同じことを主張している。
それこそが、結婚生活成功の最大にして唯一の予言者であるとも言っている。
「建設的議論」とは、私に言わせれば、自分の意図を理解してもらおうと相手の懐に飛び込んでいく討論なのである。

「関係が深くなればなるほど、真実を突きつけられ、ますます不愉快になる」という言葉がある。

この言葉を使った人は不愉快という表現を使っているが、喧嘩は相手を知るための機会でもある。

何でも言えることが最高の人間関係である。
うまくいっているカップルは問題のないカップルではなく、問題を解決する能力のあるカップルである。

この世の中に問題のないカップルなどいない。

「トラブルは良いこと」と、言われる。
このことをわかってもらわなければならないのは、アメリカの女性よりも日本の女性なのである。

アメリカの女性はよく男性と喧嘩をする。
日本の女性にくらべれば、はるかに自分を主張して男性と対立する。

『親しい敵』という本のなかに「一日一回夫婦喧嘩で医者知らず」という格言が載っている。

人はストレスから病気になるが、自分の言いたいことをいうことでストレスが解消され健康でいられる、という意味である。

それほどまでに、自分の言いたいことを言うことは大切である。
そして言いたいことを言えば、まず喧嘩になる。

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人付き合いの怖い

ある本にワーレンという男性が出てくる。
ワーレンは妻とのセックスに自信がない。
そこでその性的劣等感から自分を守るために、テレビのスポーツ番組を見続ける。
しかし自分を守れはしたが、そうすることで妻とは親しくなれない。

親しくなれる人は「自分は性的に不能なんだ」と素直に女性に言える男性である。
性的不能を隠す男性は女性と親しくはなれない。

同じ本に出てくるマークも同じように、酒を飲むことでごまかしている。
真実は必ずしも輝かしいことばかりではない。

しかし、その真実を共有するところに男と女の本当の親しさがある。
「セックスは肉体的なことではなく心だ」と言うのは、このことなのだ。

この劣等感は、性的なことばかりとは限らない。
劣等感を持った人はこうしてひとりで自分から人と親しくなる能力を破壊していく。

「神経症気味の人は概して結婚という暗礁と性という浅瀬で彼の人生を破滅にみちびく」

セックスでその人の心理的成長がわかる。
性という浅瀬で自分の人生を破滅させる人は心理的成長に失敗している人である。

「真実の瞬間」を避けていると、性的に不能になることが多いにちがいない。

頭が悪いなら悪いとして親しまれ、尊敬される。
それが親しい関係である。
駆け足が遅いということに劣等感を持ったら、それは失敗した関係である。

親しいとは「ふり」をしなくてもいいということである。
立派な人を演じなくてもいいということである。
自分が頭がいい「ふり」をしなくてもいいということである。
そのままの自分が、相手に高く評価されているということである。
そのままの自分が相手に意味がある。
そこが親しさである。

コミュニケーションの能力は素直さである。
「できないんだ」と言えるか言えないかが、親しいか親しくないかの分かれ目である。
人は格好をつけることでコミュニケーションができなくなる。

では、どうして親しくなるか。
それは何度も言うように自己開示である。
親しいとは自分の弱さを、その人には出せることである。
しかし、それは無責任になれと言っているのでもない。

あるアメリカの本によると、女性は男性の二倍の親しい友人を持っている。
女性は男性にくらべてずっと弱みを友人に出してしまうからである。
25%の女性は弱みだけを出すという。
25%の男性は強さだけを出すという。

ところで喧嘩が大切だということは、充実した恋愛関係を維持するために大切だということだけではない。
一刻も早く別れたほうがいい人たちを早く別れさせるということでもある。

「雨降って地固まる」という格言があるが、「雨降って土砂崩れ」ということもある。
岩盤が弱いと土砂崩れする。
つまり、信頼関係がないと、喧嘩は土砂崩れを起こす。
どちらかが耐えているときは土砂崩れを起こす。

でも、これで「別れ」ができればまだよい。
最悪のそのまた最悪は、双方が最後まで折れて、憎しみを持ちながらも関係が終わらず、うつ病にでもなるケースである。
喧嘩恐怖症型夫婦は家庭内離婚になる。
家庭内離婚は実際の離婚よりもさらに悲惨であろう。
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